インドは中国と英国の歴史観に苦しめられているのだと思う。

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫)

 では世界には2つの歴史観しか無いと説明されている。
中国から発祥した政権の正統性を説明する「東洋史
ヨーロッパがいかにしてアジアと闘争を繰り広げてきたかを説明する「西洋史
著者は、モンゴル帝国を基準とすることで新たな「世界史」を構築できるとし、それを説明しているのが本書である。


http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20061024#p1

まず言うまでもなく、インドの文化的な背景には儒教は全く関係がない。にもかかわらず、その近代化の過程において見られるヒンドゥーナショナリズムには、その攻撃の対象となる他者(イスラム教徒、西洋文明、マルクス主義者)を、低俗で邪悪なものとして貶め、それによって自らの道徳的立場を高める、と言う姿勢が明らかにみられるように思われる。

これは西洋史の影響だと思う。

また、タージマハールは実はヒンドゥーの宮殿だった、という主張など、古田著で儒教文化の特徴とされている歴史の捏造(「偽史」の作成)による自らの存在の正統性の強化、という現象さえみられることに注目すべきである。これらのことは、中韓(朝)のナショナリズムの特徴を主に「儒教」という視点から理解することにどれだけ有効性があるか疑問を投げかけるものだろう。

これは東洋史の影響だろう。

世界史の誕生─モンゴルの発展と伝統 (ちくま文庫) では、インドは輪廻思想ゆえに、歴史を記述する必要性がなかったため「歴史の無い地域」とされている。そして、歴史の無い地域は、そこが接した「歴史を持つ民族」の史観をマネすることから、歴史の記録が始まると日本などを例にあげて説明されている。

無茶苦茶を承知でいうならば、インドは隣国、中国の東洋史と、かつて植民地支配をされたイギリスの西洋史の両方の影響を受けて、自らの歴史をつづろうとしている。それが上で紹介したブログで語られているようなナショナリズムを生み出していると思う。

モンゴル帝国は宗教には寛容だった。そしてインドは、モンゴル帝国の継承国家である。ならばこそ、「西洋史」や「東洋史」によらない「世界史」の視点からインド自信がインドを語ることができるようになれば、もっと別の健全なナショナリズムが生まれるのではないかと夢想する。