人種差別が大好きなはてな村の住人がいっぱい釣れました。

はてなブックマーク - モスク建設計画難航…地元町会「引き下がって」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

このブクマで町会を糾弾している連中は、全員、日本人を差別する人種差別主義者です。
地元住民の権利や意思を尊重せずにあざ笑うのは醜悪な限り。

たとえば、日本人が米国の片田舎や中東に神社を作ろうとすればどうなるか?
どこの地域でも猛烈な反対運動が起きるでしょう。自分たちの居住区に得体の知れない施設を作ろうとすれば当然の反応です。
「僕たちは排外主義ではないから何を作っても気にしないよ」と言う間抜けはどこでも少数派です。

宗教施設だけでなく、マンションや工場、研究施設の建設でも地元民の理解を得るのはとても大切なことです。
「石川ムスリム協会」も次のように地元の理解を得ようとしています。

条例は地元同意を必要としていないが、松井副会長は「強引に進めたくない。たとえ工期が延びても説明を繰り返したい」とし、今後も理解を求めていく意向だ。

なのに、「穏便に引き下がってほしい」という町会側の発言を差別だと糾弾する連中は何を考えているのか?
いままでに接したことが無い集団と交渉を持てば、不安から拒否反応が出るのは当然のことです。
町会側を一方的に悪と決めつければ、相互理解など不可能になります。
差別だと糾弾している連中は、相互理解を妨害し、町会とムスリム協会が争えば祭りになって楽しめるとでも考えているのでしょうか。

異文化理解を叫ぶ連中もアホ丸出しです。異文化を理解しているからこそ、受け入れないという選択肢もあるはずです。
おそらくは「受け入れは正しい」という結論だけを押しつけるために、異文化理解と言っているだけなのでしょう。
原発の受け入れは正しい」という結論を受け入れさせるために金をばらまいた連中と同じように。

「正しい結論」だけを受け入れさせようというのは、もっとも醜悪な差別です。
奴隷制度は「黒人は奴隷として暮らすのが一番幸せ」だという「正しい結論」を黒人に押しつけたことからはじまり、植民地主義は「非西洋人は西洋人に支配されるのがふさわしい」という「正しい結論」を非西洋人に押しつけることからはじまりました。

「正しい結論」を他人に押しつけるよりも、その他人と話し合い、相互理解を深めるべきでしょう。
その相互理解の結果、別々に暮らすのが最善となれば別々に暮らせばよく、一緒に暮らすのも悪くないとなれば一緒に暮らせばよいのです。
話し合いを行わずに、外国人はとにかく受け入れろ。宗教はとにかく受け入れろといった「正しい結論」を押しつける連中は、外国人を崇拝し日本人に自由な思考を許さない差別主義者です。
外国人や異宗教を拒否したというだけで差別だと反射的に叫ぶのは、自分で自由な思考が出来ず外国人を崇拝するしか無い差別主義者です。

そういった差別主義や外国人崇拝主義に染まらないようにするには、外国人と同じことを日本人が行ったら…と考えてみましょう。
「たとえば、日本人が米国の片田舎や中東に神社を作ろうとすればどうなるか?」

日本人も外国人も共通点の方がはるかに多いのです。