日本の医療システムは、日本が貧しかったころのものをそのまま使い続けたのが悪かったのではないか。

雑感。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061020
この高邁な使命感が医療を支えていたと思います。この士気の高さが激務と呼ばれようが、労働基準法の枠外の奴隷と呼ばれようが現場を支えてきた原動力だと思います。またこの士気が育まれたのは医学教育から現場にまで一貫して流れる気風です。この士気が音を立てて崩れているのが現在の医療状況です。

士気で日本の医療を支えたせいで、日本の医療は合理化することができずに、崩壊の道をひた走ったのではないか。

かくして医者には二つの矛盾した要求が突きつけられることになります。

医療費を削減するために不測の事態への準備を出来る限り最小にする事。
もし不測の事態が起こったときに万全の準備が出来なかった事への責任を取る事。

この二つの絶対的な要求の前に、医者は神である事を要求されます。
この二つの絶対的な要求の前に、医者は神である事を要求されます。絶対に診断も治療も間違わない事です。その患者の病気の診断に無謬である事が必要であり、治療には水も漏らさぬ完璧性を要求されると言う事です。これが出来ないものは断罪されるという明白な現実です。

それでもなんとかこの要求に応えようと医者は健気に努力してきたと思います。ところが現実に断罪される事象を次々と目の当たりにさせられると、医者の心は重圧と疲弊に耐えかねて折れます。

要するに、日本の医者はリスクヘッジについて何も思考してこなかったわけだ。無茶苦茶な目標に対して士気だけを頼りに突っ込めば折れるよ。

99.9%無理であっても、0.1%の望みに最大限の希望を託して努力するのが医療だと信じてきました。それが医師の使命であり、医師が医師たる所以と固く信じ込んでいたのです。

この高邁な使命感が医療を支えていたと思います。

その使命感が医療費を高騰させたのも事実。医療報酬は結果ではなく過程に対して支払われているからね。

医療に金が必要なのはわかる。しかし、その医療にその金額が妥当だというのは誰が証明してくれるのだろう。
少なくとも、俺たちは好きなようにやりたいからガンガン金を出してくれ!という連中に国家予算を渡してはいけないのは確かだ。

個人の士気の高さに頼った組織が崩壊するのは理の当然。

日本の医療はその士気の高さ故に崩壊した。かつて玉砕した日本帝国軍のように。
システムが特殊化しすぎて状況の変化に対応しきれなかった。

次に行うべきは、士気には頼らない医療システムを使用できる予算の範囲内で再構築すること。

まずは、医者や病院の実績を公表することからだな。属人性が高いのに、その成績や能力を客観的に測ろうとせず「医者」とひとまとめに扱ってしまう悪弊から抜け出ないと。


医療システム崩壊とはいっても、医者が死に絶えたわけじゃない。現代の日本には技術もあり、教育能力もある。
もう、欧米を真似る必要は無い。日本人がその合理性を追求して医療システムを構築すれば、数年後の日本は、意外と世界でも最先端の医療システムを持つことになっているかもね。




http://d.hatena.ne.jp/natsuki821/20061020
ビジネスライクに、医者を商売としてとらえ、単なる一サラリーマンとして相応の報酬と妥当な休みをいただくことに徹すれば踏ん切りがつくのかもしれない。

ビジネスライクというものが、どれほど過酷に合理化への思考・行動を要求するかを考えれば、日本の医療はどんどんビジネスライクになるべき。

まずは、「人の生き死にに関わるから〜」といった類の奢りというか宗教?から自由にならないと。シャーマンや呪い師じゃないのだから。