あいも変わらぬmacskaさん

http://d.hatena.ne.jp/macska/20060814

前回「男女の画一化という意味でジェンダーレスという言葉を使うのであればそれはジェンダーフリーとは違うしわたしは反対だが、ジェンダーの自由化という意味でジェンダーレスという言葉を使うならそれこそジェンダーフリーの意味である」と示したことで、ジェンダーの自由化は良いのか悪いのかという生産的な方向に議論が進んでくれたらと思ったのだけれど、

生産的な方向に進まないのは、ジェンダー論の論拠が明らかになっていないのが原因。

ジェンダー論は「双子の症例」とは無関係に成り立つし、「双子の症例」とジェンダー論が共倒れしたりはしない。

 なぜなら、マネーの言う「ジェンダー論」とは、性同一性障害の人の存在によって示される「生殖学的な性別と、性自認(のことを当時マネーはジェンダーと呼んでいた)が合致しないことがある」という事実だけをもって成り立つのだもの。「双子の症例」がどうなろうと、それによって性同一性障害の人の存在が消えてなくなるわけがないので、共倒れになるわけがない。

『マネーの言う「ジェンダー論」』と『macskaさんのジェンダー論』の違いな何なのかな?
意図的に誤読させようとしているのかな?


最大の問題点は

「生殖学的な性別と、性自認が合致しないことがある」という事実

どのような手段で、いつ、誰が、そういった事実を明らかにしたのか? ということですね。

性同一性障害の人の存在によって示されるなどというのは、過去に様々な病気やその原因が作り出され、その誤りを指摘され消えていった歴史を見れば何の説明にもなっていません。


ていうか、ジェンダー論者が自説を補強するために性同一性障害の方を利用しているだけじゃねーの? という疑いがぬぐいきれません。