やっぱりジェンダー論は疑似科学だよ。

id:bruckner05さんが紹介してくれた上野千鶴子「差異の政治学」の引用部分を読んで。

現実にはXXX(超女性)やXYY(超男性)といった組み合わせも存在する。

これは染色体の異常であって、性別の組み合わせの種類に数えるのは誤りです。

男性と女性のちがいは、ただこのホルモンのバランスのちがいにすぎず

男性と女性のちがいは、そのホルモンバランスの違いを作り出す「何か」。
ホルモンで性別が決まるのではなく、性別を司る遺伝子によってホルモンを放出する器官が作られ、それに何らかの刺激が加えられることでホルモンシャワーが行われる。

すなわち、遺伝子、内分泌、外性器のどれをとっても、自然界には性差の連続性があるのに対し、

遺伝子、内分泌、外性器の異常をあげているだけで、性差の連続性については全く論証できていません。

したがって言語によっておこなわれるあらゆる心理学的性差研究は、一種の「予言の自己成就」、すなわち言語によって形成された性差を言語によって追認するという作業になる

先に結果を作っておいて、それに合致する調査結果を取り上げるということですね。
世間一般では詐欺と言います。

人間においては、遺伝子やホルモンが考える、のではない。言語が考える、のである。

で、その論拠は?

遺伝子やホルモンの影響を受けている生物はたくさんあります。
猿なり猫なり犬なりを使い、人間と動物の比較実験を行う必要があるでしょう。



主張ばかりを繰り返し、その主張の論証や比較実験を積み重ねないのはなぜだろう。
細かな実験や論証を積み重ねることで、ある一定の法則や事象を明確に浮き彫りにするのが科学ならば、そういったことを放棄し、誰かが言ったこと書いたことの解釈や言い換えばかりを繰り返しているジェンダー論は間違いなく疑似科学です。