知識が無くても批判や批評をしてもいいんだよ。

知力について、溜池通信http://tameike.net/comments.htm#newの5月17日から引用。

●知力:中国に行った飯久保氏、傲慢な学者と話しているうちに、いっちょやり込めてやろうと思い、「知力という言葉を定義してください」と言ってみたのだそうだ。中国人は即座に曰く。「当該の問題について、たとえ知識がない場合であっても、その場で正しい解決策を発見することができる能力」でありますと。

あるものについて判断したり感じたりしたことを表現するのに、それに関する知識は必ずしも必要なものではない。
車や飛行機のことを知らなくても、一定の自然法則や物理法則の知識があれば、それだけで車や飛行機が何のために作られ、どのように使われ、どのような欠陥があるかを推測できる。

逆に言えば、一定の自然法則や物理法則から演繹できないものはデタラメか、ファンタジーにすぎない。

何かおかしいな? と思ったら、すぐにあなたの常識にしたがった質問をぶつけてみるといい。
その質問の答えが、あなたが知っている一般常識から演繹できるものは、信頼性が高い(あなたの常識がずれている可能性はあるけど、もしそうなら様々な人から、あなたが批判されるので容易に判る)。

しかし、その答えがあなたの知らない知識を前提にしているなら要注意だ。ボソウが悪い。男社会が、DV、聞いたことも無いカタカナ語

自分の主張を社会に反映させるために、あなたを騙して利用しようとする連中は、いつでもどこでも手ぐすねを引いているのです。要注意。

プロ市民も、弱い人間を盾に利用しているだけだしね。