ジェンダーフリーの終演終焉 …………………………………………………………………………か!?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060127#p3

ただフェミ業界内部の文体〜思想しか持っておらず、それを支える膨大な世界や矛盾を、学説とかいう濾過された形でしか消化できないそのような自己のあり方に疑いを持たないで良いのか。そのようなあり方は、フェミ業界外部には無関心であって良いとする常識を肯定し(本来フェミの対象であったはずの)一般大衆の女性たちのことも実は見つめていないことに繋がっていくのではないか。

 ある問題に反応し別の問題には反応しない自己のあり方、そういった問題を捉え返そうとする困難という課題。松下昇が「自己の存在様式」とか「表現の根拠」とかいう言葉で語った問題ですが、それは課題ではないとする人は密かにくさっていくのではないでしょうか。

全く、その通りです。
ネット右翼やらバックラッシュやらの「敵」を作り、「敵」を討ち滅ぼすことこそが正義であり、我々はそれに邁進するべきなのだ!となった時点で政治活動としては、お終い。

我々は敵を滅ぼすための正義である。といった思考は自己崇拝を産み、その崇拝は政治目的を失わせ、勝利によって得られるはず・得て当然の果実の分け前(栄誉なり権益なり)を求めて暴走をはじめる。

男女共同参画にしても、性差の権益をできるだけ平らかにするのが目的だったのに、何時の間にやら、「男女共同参画に反対するのはバックラッシュで、邪悪なり!」になってしまっている。
少しでも異議をはさもうなら、「ネトウヨだ!保守反動だ!」と大騒ぎ(w
政治目的を達するためには、味方を増やすのが王道です。敵を作って、「さあ、敵を滅ぼせ!」と煽るやり口は、ファシズムの手法そのものです。


それを見た、普通の人は引きますわな。普通の人は、自分のことを正義とは思っていないし、見知らぬ他人を容易に悪と決めつけられるとも考えていない。
日本の左翼活動は、同じような現実離れした幼稚な二項対立を主張し続けたために、胡散臭さが頂点に達し、日本人に見捨てられてしまいました。
ジェンダーフリーも同じような道筋をたどるでしょう。


(つうか、平等の実現を謳いながら、大多数を占める保守層をバックラッシュとやらの用語で呼んでいる時点で駄目すぎなんだけどね)



それにしても、男女の権益を平らかにするための政治手法は、古代ギリシャの時代から様々な方法が考案され、実行されてきたわけですが、なぜ、それを真似しないのか非常に不思議です。やり方も、それがもたらす効果も歴史で実証されているのですが。

やはり、ジェンダーフリーが、伝統や歴史を否定する左翼思想から生まれたからなのでしょう。



一般大衆の女性たちへ強い影響を与える存在は、いつの時代も、伝統を見つめて生きている女性だと気づくのは何時の日か。
外国の文献の引き写しで終わっているようでは無理かも。

もう、始まっているけどね。