クォータ制とジェンダーフリーに反対!

http://d.hatena.ne.jp/macska/20051204/p1 で以下のように指摘されていますが。
>男性議員にセットでついてくる、資質があるかないかも有権者には判断できないような人に期待するよりは、自分たちで女性議員も選んだ方がいいですよね。

女性議員を選ぶのに必要なのは、女性の立候補者であってクォータ制ではありません。
クォータ制有権者の選択肢を狭めるだけです。
クォータ制の下では、得票が0でも、特定の性別だというだけで議員になれてしまいます。
有権者の投票結果をゆがめるクォータ制は民主主義を崩壊させる制度に他なりません。



>なるほど、性差はあるけれど、もっと重要なのは個人差だから、男だから女だからと言わずに個人を尊重しようというのですね。

個人差の中に性差は含まれますよ。
個人差を尊重するならば、性差も尊重されなくてはいけませんね。

性差が個人差のひとつのパラメータである以上、性差による利益・不利益を無くすことは個人の圧殺に他なりません。

男であること。女であることは、個人の才能のひとつです。それを生かすのは個々人の責任であって、社会で面倒を必要はありません。

男だから女だから、有利不利というのは、時と場所、その人自身の才能や年齢、運によっても大きく異なります。
伝統や慣習による性差別に苦しんでいる!と主張する人を見るたびに、「伝統や慣習を利用できない、乗り越える能力を持たない、あなた個人が莫迦なだけじゃないの?」と思います。

世界最強と謳われた格闘家、範馬勇次郎は「競うな。持ち味を生かせ」と言いました。
性差を無くすよりも、その性の持ち味を生かした方が幸福になれるのではないでしょうか。

社会で活躍している男性や女性は、自分の持ち味を生かして仕事をしている人ばかりですしね。