ジェンダーフリーの胡散臭さの訳に気づいたぜ!〜男女平等を数値目標で達成するぞ!?

「女性役員4割」義務付け
国の審議会等の女性委員の割合は30%の目標を達成

各自の能力に応じて与えられる地位を、女だから!という理由で優先して与えられるというのは、男女差別です。

法律を変えれば社会をよく出来る!というのは大きな間違いです。
法律を合理的に変えた時のみに社会をよく出来るのです。

女性役員や女性委員の数に数値目標を設定することに合理性は皆無です。
女性を4割にすることが義務づけられていては、例えば、男性の完璧な役員候補が10人いたとしても、そのうち4人を落として役員には不的確な女性に入れ替えなくてはいけないのです。落とされた4人の男性は完璧な役員能力を持ちながらも、男性だという理由で役員にはなれないのです。

落とされた男性は制度と女性に不信感を持ちますし、役員にされた女性も、その実力を認められたわけではないので信頼されません。

差別をなくそうとした行動が逆に差別を生み出しているのです。
このページで詳しく説明されています。
アファーマティブアクションという名の「差別」

アファーマティブアクションを発生させることに気づかない日本のジェンダーフリー男女共同参画は、差別の解消という微妙な問題に対しては極めて鈍感なようです。


ところで女性の能力ですが、歴史上、男性と同等かそれ以上に活躍した女性達というのは男性と同等かそれ以上の能力も持ち主達ばかりでした。
カカアやオバタリアンといった女性達が男性に対して優位を獲得しているもの自信の能力によるものです。

制度が無くても、高い能力を持つ人間はそれなりの待遇を獲得できます。
逆に言えば、引く能力しか持たない人間がそれなりの待遇を獲得するには、それを実現する制度が必要なわけで・・・・・・・その制度を異様に求める方々の能力は大して高くはないのでしょう。

高い能力を持つ人間は、性差に関係なく活躍できる。
活躍できない人間は、その原因を自信の能力ではなく、性差に求めてしまう。
能力の低い人間は、自分の能力を客観的に評価できないため、能力の無さに気づくことができない。自然と客観的に明確に判別できる性差に、自分が活躍できない原因を求めてしまう。

女性蔑視がひどい企業なら、他の企業に転職すれば済むことです。
女性蔑視のひどい企業に居続けなければならないのは転職できるほどの能力の無い女性だけというわけで・・・・・・・。

社会制度を変えなくても、自分自身を変えることが手っ取り早いのです。

ああ、ジェンダーフリーが胡散臭いのは、他人や社会を変えることばかり唱えて、自分自身を変革しようとしないからなんだ。